ここのところ、
筆者は「仕事」に関する記事をいくつか投稿しており、
その中で、「労働からの卒業」を強く主張している側面がある。
また、他のブログをいくつか見ていると、
「どうすれば労働から解放されるか」といった内容の記事も散見される。
これらの記事を見た人の中には、
「労働は悪いことだ!」と思う人がいるかもしれない。
そして、筆者やそのような記事を書いているブロガーのことを、
「労働を悪いことだと認識している人たち」というふうに捉えるかもしれない。
しかし、勘違いしないで欲しい。
筆者は、「労働は悪いこと」だとはまったく思っていない。
おそらく他のブロガーたちもそうであろう。
「労働」とは?
先ほどから「労働」という言葉を用いているが、
ここにおける定義をはっきりさせておこう。
筆者が意味する「労働」とは、「労働者における労働」である。
そして、「労働者」とは「資本家に労働を提供し、賃金を得て生活する者」のことだ。
つまり、ここでの「労働」は、
「報酬の対価として資本家に労働力を提供するもの」のことである。
「労働」は悪いことではない
筆者は、「労働からの卒業」を主張しているが、
「労働は悪いこと」だとは一切思っていない。
むしろ、「労働」には良い側面があるとも思っている。
そのひとつが、
「労働は生産手段を他に持たない人にとっては、非常に有用な方法である」
ということだ。
どういうことかというと、
労働は、労働力を提供するだけで誰でも簡単に報酬をもらうことができるということである。
「労働」は、お金を手っ取り早く稼ぐには非常に便利な方法なのだ。
「したい」か「したくない」か
「労働は悪いこと」ではない。
しかし、なぜ筆者や他のブロガーたちが、
「労働からの卒業」について主張しているのか。
シンプルに考えて欲しい。
「働かなくても安定した生活が保障される」としたときに、
もし「労働をしても良いし、しなくても良い」と言われたら、
あなたはどうするだろう?
「労働をする」だろうか?
「労働をしない」だろうか?
おそらく、過半数以上の人が「労働をしない」だろう。
それを示すデータもあった。
https://sirabee.com/2016/06/20/132756/
このデータによると、過半数以上の人が「働きたくない」と思っている。
つまり、労働を「したい」か「したくないか」と問われると、
過半数以上が「したくない」と答えるのである。
そこでだ。
「それなら労働から卒業しましょうよ」と、筆者は主張しているのだ。
「したくもないことをわざわざやるんですか?ドMなんですか?」
「したくないなら、しなくても良い道を探しましょうよ」と言っているだけで、
「労働は悪いことなので絶対にするべきではない!」なんてまったく思っていない。
もし、「労働をしても良いし、しなくても良い」と言われて、
「私はなんとしても労働をしたい!」と強く思うのであれば、全然したら良いと思う。